全国で生活保護を受ける世帯が今年6月、137万7930世帯となり、世帯数としては過去最多を更新したことが厚生労働省の調べで22日わかった。受給者は190万7176人で、受給者が190万人を超えたのは1955年以来。
受給者は昨年12月の180万人から半年で10万人の増加。リーマン・ショックによる景気低迷の影響で、08年以後は半年に10万人のペースで増加し続けている。受給世帯数は05年に100万世帯を初めて突破し増え続けている。
48人は子どもから高齢者まで、いずれも2人の介護を目的として入国した。
何で2人を介護するのに、48人も必要なわけ?西、港、大正、浪速、東淀川の5区に「仕事がなく、収入がない」として保護申請した。
支給された生活保護費からマージンを引き抜く貧困ビジネス業者にしか見えない。いずれも市内の同じ不動産業者が付き添っていたという。
日本人姉妹の親族として5~6月に来日した中国人48人が入国直後に大阪市に生活保護を申請した問題で、姉の林愛英さん(79)と妹の珠英さん(78)=ともに同市西区在住=が4日、読売新聞社の取材に通訳を通じて応じ、「私たちには日本人の血が流れている。中国でつらい時代を生き抜いて、やっと来日が認められたのに、入国目的を疑われるのはつらい」と心境を語った。
姉妹によると、母親は福岡出身の日本人。1926年、中国人の夫と中国・福建省に渡り、愛英さんら10人の子どもをもうけた。干し芋で食べつなぐ貧しい生活。戦後は日本敵視の風潮が強まり、一家は迫害を受けた。父親は激しい暴行を受けて衰弱し、死亡。愛英さんは「私も息子たちも『日本人は出て行け』と、よくいじめを受けた。こん棒で殴られ血まみれになったことも」と振り返る。そんな時、母親は「日本人はみんな親切。いつか一緒に日本に帰ろう」と繰り返していたという。
日中国交正常化(72年)後に、中国残留邦人に帰国の道が開かれ、母親も97年、約70年ぶりに帰国。しかし、出生届が出されていなかったため、日本国籍を取得できないまま、母親は1年後に日本で病死。姉妹は電話で悲報を知らされた。
中国帰国者を支援してきた空野佳弘弁護士(大阪)が代理人となり、2008年11月、DNA鑑定で日本人との血縁関係がようやく証明され、姉妹は日本国籍を取得。姉妹と兄、その子ども計10人の家族合計56人の入国も認められ、期限の6月までに次々と来日した。先に入国した家族が外国人登録した際、区役所の窓口で生活保護制度を知り、後に来た家族とともに申請手続きをしたという。
「息子たちの仕事が見つかれば、申請は取り下げるつもりだった」と姉妹。先月末に自転車組み立て工場などに息子ら3人の就職が決まったが、大阪市から入国目的を問題視された影響で、すべて断られたという。
愛英さんは「日本はいい国だと聞かされ、ずっと移住したいと思っていた。やっと家族で平穏に暮らせると思ったのに」と涙ぐんだ。
偽装請負については私も被害者であるし、正されねばならないと思う。昨年五月一日、首都圏なかまユニオンが開催した「第六回反グローバリゼーションメーデー」でジャーナリストの安田浩一氏が「偽装請負の取材現場から」という題で講演をした。
松下プラズマディスプレイの偽装請負がテーマだったが、安田氏は開口一番、半笑いを交えこう語った。
「今、チベット問題で若い右翼が中国を許すなって言ってデモをやっている。ふだん人権なんて言わないくせに何を言っているのか。だけどああいう右翼たちの背景には貧困がある」
会場にいた聴衆たちも「アハハハ右翼がねえ~」と大ウケ。
とあるように、労働問題に関する中国当局の姿勢にも触れている。中国当局の姿勢(人身売買まがいのビジネス、労働争議禁止)(略)の姿がリアルに暴かれていくのです。
ここは私にとって脇道なので軽く触れるだけにしておくが、「NPOでもホームレスに生活保護申請をさせてその一部を取り上げるところがあるが、背後には民族主義の団体がある」
「西村修平(主権回復を目指す会代表)にも会ったことがあるが、彼はもともと毛沢東主義。それが今では右翼になった。働いているかどうか知らないが」
聴衆はまた「ガハハハ右翼がねえ~」と嘲笑う。
筆者はこの見解を「陳腐」と評しているが、私に言わせればその評は生温く、しかし貧者=右、という見解もまた陳腐に見える。以前、私は複数の左翼活動家に「カンパで食っているんでしょ」と指摘したところ、罵声を浴びせられて否定をされたことがある。
ならばなぜ安易に右については「貧困が起因」と簡単に結論付けるのか。それ以前に彼ら貧困論者は格差と貧困を解消すべく日常、全国を回り説法をしているわけだ。それほど貧困問題に熱心な方が「右翼は貧困」と笑ってすませていいものか? 政治スタンスの違いだけで同じ貧困者であってもこの扱いだ。
と、まとめられてしまって、目も当てられない気分に陥ったものだ。ツトムさんの本棚を見つめていると、貧困の底にいる若者たちとナショナリズム、ファシズムにすがろうとする心情の接点が、一瞬、垣間見えた。
主催者側の発表では、制・私服の出動警察官150人と前回よりも警備が厳しく、参加者の安全確保のため中止した、とのことでした。
午後12時半、一行は歩いて麻生邸に向かったが、このままでは全員逮捕という事態も想定されたため、急遽中止を決定した。主催者は「モノが言えず、自由な表現を許さない今の日本はおかしい。私たちは再度デモなどの方法で行動を起こしたい」と語った。
【日時】 適当な日曜日の午後
【場所】 多分関東の何処か
【主催】 緑城Blog
今回のデモ目的地は、プレカリアートの女神、雨宮処凛女史宅です。
無届デモで逮捕者を出した麻生総理宅見学ツアーへの参加を煽り、
手続上の不備を省みることなく不当だとして逮捕者の救援に必死になる彼女。
マガジン9条にも記事を書き、週刊金曜日の編集委員も務める。
左派の言論人・運動家から引く手数多の彼女の家を見に行きましょう!
この発言をインスパイアしてみる。反戦と抵抗のフェスタ2008の山口素明さんは、「3名をすぐに釈放しろ。絶対に麻生の家にはお邪魔させてもらうから、そのつもりでいてほしい」と語っています。